日本人として恥ずかしい、ニッポン「自画自賛」症候群。

2014年3月5日に、
ネットに溢れる「海外の反応」について(雑感)。
というのを書きました。

要は「海外の反応」系のサイトが乱立していて、もちろんアフィリエイトが目的のサイトですが、翻訳される掲示板の話題が日本のポジティブな評判(文化、自然、治安などや落し物が戻ってくるといったエピソード)が溢れていて、読めばキモチよくなってしまう。ほどほどに楽しめば、といったことを書きました。

そんなことを思いつつ、約4か月後の7月30日、東京新聞に

近ごろ日本を覆う「自画自賛」症候群は何の表れか
 近ごろ、本屋に立ち寄ると、気恥ずかしくなる。店頭に「日本人はこんなにすごい!」という「自画自賛本」が平積みにされているからだ。この国から「奥ゆかしい」とか「謙虚」といった感覚が急速に消えていっているように感じる。だが、そうした違和感を口にすると、どこからか「自虐だ!」という悪罵が飛んできそうだ。いったい、これは何の表れなのか。日本社会の美徳が崩れてはいないか。
(以下有料サービスなので読めません)

という記事が出ました。

内容は私が書いた「海外の反応」系のサイトの話ではなく、出版物(書籍)の話でした。

で、翌日、朝鮮日報に下記の記事が・・。

日本社会に広まる「自画自賛症候群」、背景に韓中の成長
すでに読めないのでリンクしませんが、まあそういった日本(人)の自虐ネタにはさすがのお国柄というか鋭い嗅覚であります。

そして、さらに翌日(2014.08.01)
本当に日本人に「自画自賛症候群」が広まっているというのか?~あまりにも表層的主観報道であり悪意すら感じてしまう東京新聞記事(BLOGOS)
という反論が出ました。

内容はいかに日本人が謙虚であり、内閣府が行った若者意識国際比較調査においては、少なくとも日本の若者に「自画自賛症候群」が広まっている兆候は全く見られない、と結んでいます。

その後ひと月経って昨日(2014.09.01)、今度は人民網(人民日報)にも下記の記事が出ました。

「自画自賛症候群」が日本を覆う 日本は世界から愛されている!?
日本を称賛する書籍が(本屋の)目立つ位置に並べられているとか、外国人が日本を称賛するテレビ番組「ネプ&イモトの世界番付」や、日本がいかに外国から評価されているかがテーマになっている「和風総本家」も例になっていました。

まあ、そんな海外の評価がベースになっている番組の多さには、視聴者の多くが「近ごろ、こういう(外国人の日本体験系の)番組多いね」と、あらかた気づいているように思います。

それでもポジティブな(ストレスのない)話題を見てしまうというのは、視聴者(受け手)からすれば自然だし、そもそも制作側はそれ(ウケ)を計算しているのですから当然と言えば当然のこと。

個人的には「自画自賛症候群」というより、そういう記事や書籍や番組が「キモチいい」だけで、別にそんなヤバい傾向ってほどでもないようには思います。

ただ反面、「いえいえ」「まだまだ」「それほどでも」と思いつつ、繰り返しホメ続けられると、「そうだよね」「そのとおりだ」となってしまうこともなりかねないようにも懸念されます。
ご近所の国の小学生への反日教育みたいなもので。

実際、ポジティブな声に対して「そのとおり」ともいえないシーンは、残念ながら身近に少なからず目にします。

都内の町中の道路はきれいかと思うけど、ちょっと郊外に出た国道脇の空き地に散らばる空き缶やコンビニ袋のゴミとか、複合施設の喫煙室に子供と一緒に入ってくるバカ親とか、降りる人を押しのけて電車に乗り込むオバサンとか、側溝に吸い殻を落とすオッチャンとか、そんな厭な光景を見たことない人はいないはずで。

先日も成田に向かうスカイライナーの中で、子供たちが車内にこぼした飲料を拭きもせず、その子供たち3人に罵声を浴びせている痛いヤンママを見ましたが、その後の席に座っていた外国人旅行客も唖然としていました。

やはり私も海外の目(評価)をつい気にしてしまう日本人の性(さが)と申しましょうか、できれば外国人の方々には見られたくないと思う痛いシーンでした。

ま、だらだら書きましたが、(今年3月に書いた記事の趣旨とも重複しますが)昨今の海外のポジティブな評判は平均的な話としてとどめ、逆に見られて恥ずかしい光景も相当あることも忘れないようにしとこうよ、と思った次第です。

追伸
半年前にこんな記事も書いています。
ネットに溢れる「海外の反応」はその後、テレビの日本スゴイ系番組へと伝播。

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