感動した創作話、ティーリケ著書「畑の中の宝」にあった1話。


他人と見比べて俺ってずいぶん損な条件じゃないか・とか、誰々に比べたら不平等じゃないかってことがあったとき、自分はいつも思い出す聖書にまつわる創作話があります。
(ちなみに私はクリスチャンではありません)

ティーリケというドイツの神学者の著書「畑の中の宝」の中にあった1話です。
本のタイトルになっている「畑の中の宝」というのはマタイによる福音書13章の44節にある記述で、天国を畑の中の宝に例えています。

聖書そのものがたとえ話だらけの書物ですが、そこからさらに数多くの宗教本が著述されました。
ティーリケの著書「畑の中の宝」(小林泰雄・鈴木攻平訳、聖文舎)もそういったものと思います。

その本に納められていた1話ですが、肝心なタイトルは忘れました。
実は逐語的に記憶があるわけではなくて意味しか覚えていません。
どんな話だったか、自分なりに現代に置き換えて比喩で書くと・・・

朝、農場主が労働者に声を書けます。
農場主「陽が暮れるまでうちの農場で働いてくれないか、日当は5000円出すがどうかね」
労働者「日当5000円ですね。そりゃもう願ったりです!」
労働者たちは農場に行って働き始めます。

昼、農場主が仕事にあぶれていた労働者を見つけ、また声をかけます。
農場主「仕事がないならうちの農場で、午後から陽が暮れるまで5000円で働かないか」
労働者「働かせてください、お願いします」
と、また労働者が農場で働き始めます。

陽が傾いてきたころ、農場主が今日なにも仕事をしていない労働者を見つけます。
農場主「どうだい、陽が暮れるまで5000円で働かないか」
労働者「ぜひ、精いっぱい一生懸命働きます」
とまたまた労働者が雇われます。

そして、陽が暮れました。
仕事を終えて、全ての労働者が農場主の前に集められました。
農場主「ごくろうさま、ではみなさんに約束の日当、5000円を支払います。」
すると、朝から働いていた労働者や、昼から働いていた労働者から不満の声がいくつも挙がります。
「オイオイ、夕方からしか働いてない奴らが俺たちと同じ5000円なんだよ」
「俺たちは朝から働いているんだ、俺たちには一番多く貰う権利があるだろう」

すると農場主は冷静に言います。

「どうしてそのような不満を言うのですか?私は正直にそれぞれ皆さんに、約束したとおりの日当を払っていますよ。朝のあなたがたも、昼のあなたがたも私の提示した日当を喜んで、納得してから働いたのですよ」

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・・・農場主は、イエスだと思いますです。そして農場で働く労働者は神に帰依した人々(信者)を指すのだと思います。
このように、聖書もしくはキリスト教の教えにまつわる創作話はたとえ話に溢れています。
このたとえ話は、子供の時からイエスの教えを守り、教会で祈り、ずっと信心してきた信者も、磔になって死刑になる直前に、自らの罪を悔い改め、神に帰依した罪人も、天は平等に扱うといった意味をもつものと思われます。
元々キリスト教は現世ご利益のない宗教だし、じゃあ、ずっと悪事を働いて最後の最後に罪を悔い改めたほうが得、なんて考えは(心底、罪を悔い改めたとは言い難いわけで)成立しません。

そこを現在の雇用契約で実際にやってしまったら雇用者は叩かれるでしょうね。
著しく不平等な雇用契約とか、組合にツッコまれて炎上必至でしょう。
ただ、ないわけではないというか、多少はあるのも事実で、転職した際の年俸でも、納得して入社したけど、後で聞くと似た条件なのに年俸が損していたとか。
ただし、損した得したと言っても、最後は灰になるのは平等です。


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