「元気をもらった」って言い回しを使う有名人は、面倒臭がりか表現力がないかのどっちかなんだろうな。

もっと言ってしまうと、そもそも違和感ゼーンゼン感じないとか、秒速で稼いでる人(超忙しい人)とか。実はアホとか。

(おっと、先に書いておきますが、結構どうでもいい話です。)

それはともかく、この「元気をもらった」という、いかにも便利な言葉は、一部の芸能人やスポーツ選手らの発言に多いのはご存じの通り。同類の表現に「感動をもらった」「勇気をもらった」というのもあります。
元気や感動、勇気はもらうというものじゃなく元気になる・感動する、勇気づけられる(勇気を出す等)のはず。

実際は芸能人であれば支援活動や慰問、スポーツ選手であれば子どもへの指導といった何らかの活動後、その感想として、例えば、

予想以上に大勢の方々にお集まりいただきましたし、「これからもがんばって」とかの暖かい声援もたくさんいただいちゃって、逆に私自身、今後の活動にあたっても、ガンガン元気を出してやっていこうって、意を強くしました。

・・・みたいなことをTVカメラに言ったりしますよね。
別にカッコいいことを言うとか、誰も気が付かないことに気づいて言うとか、そりゃそんなシャレた発言があるには越したことはないけれど、普通に自分の思った気持ちを面倒臭がらずにきちんと考えて言ってほしいところです。
それを「元気をもらいました」のひと言で済ませてしまう人も、かなりいるわけで。
ま、インタビューしている芸能レポーターが誘導尋問のように「元気をもらいました」の締めのひと言を待ってるフシもありますが。

日頃ブログで結構文法無視で書いている私が言うのもナンですが、要は、その便利で薄っぺらな言葉「元気をもらった」で済ます有名人と一般人への波及(風潮)にムカつくわけです。

このままいけば、「やる気」「根気」、さらには「欲情」あたりも、他からもらうものになりそうです。

これらの風潮には、もう数年前から違和感を感じている人の意見も目にします。

「勇気をもらった」に感じる違和感、使うメディアの責任感はいかに
(以下抜粋引用)
元々、スポーツアナウンサーだった私は、駅伝も、ワールドカップも、スケートもそしてオリンピックも大好き。最近は年のせいで、感動的な場面では涙ぐんだりするが「元気をもらった、感動をもらった」という声が聞こえてきたとたんにその涙もスーッと音を立てて引いて行く。

とか、

「勇気をもらった」「元気を貰った」
(以下抜粋引用)
最近,テレビなどで「××選手の活躍に元気をもらった」「●●の勝利に勇気をもらった」という表現がよく聞かれるようになりましたが,実際に何かを見て,「勇気をもらった」「元気をもらった」と実感したことはありますか?
私は思い出す限り,ないと思います・・・。

あは。
違和感を感じている方は結構多いようで、読んでみて私も勇気をもらいました(とか)。

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